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竹の会絵画研究所によせて

アート教室のナラです。

小学校1年〜中学3年までの間、わたしは亥鼻にあった故・竹内一観先生主宰の竹の会絵画研究所に在籍していました。
竹の会が閉じてからもうどれくらい経つでしょうか。2000〜2005年の間にはご高齢により教室を閉じたかと思います。

私の絵の土台は竹の会で作られました。入会する前は自宅で図鑑の模写ばかりしていたのですが先生の巧みな誘導(?)によって抽象画に染まります。今思えば竹内先生も特別抽象画が好きだったわけでは無さそうなので、おそらく私の反応を見て勧めてきたのかなと思います。

竹内先生は二科会の絵画部に所属していたので、油絵を主に教えていました。子供の部もありましたが、在籍する生徒のほとんどは大人で年配の方も多く、そこにぽつんと紛れ込む形で習っていたのを覚えています。
授業のスタイルはシンプルで、先生が提案してくれたいくつかのお手本のうちから取り組む課題を決めるといったもの。淡々とこなしては次の課題へ、とレッスンとしては側から見れば淡白にも見えなくもないですが、内気な子供にはこれが大変ありがたかったです。たくさんの教室に入会してやめてして、ようやく見つけた運命のアトリエは"干渉しすぎない"教室だったんですね。親も探すのに苦労したと思います。私に合っていたのがまさか年配の大人ばかりの教室なんて。

いくつか作品をこなすうち、いつの間にか「ナラちゃんは抽象画が好き」と記憶されたんでしょうか。先生が出すお手本がじわじわと具象から抽象に切り替わり、最終的には選択肢全てが抽象画に…。かくして私はコガモの刷り込みよろしく抽象画に抵抗なく育っていきました。ピカソやブラック、マティス、先生が若い頃予備校として開校していた時に保管していた過去の作品などがお手本でした。

およそ9年も通っていたので今でも鮮明に教室を思い浮かべることができます。
玄関を開けるとチャイムが作動し、今ではお馴染みのファミマのあの音が流れます。音に反応して白いトイプードルのワンちゃんが鳴きながら出迎えてくれました。奥様は綺麗好きで、ワンちゃんも毎日お風呂に入れてもらっていたようです。とても清潔で全く匂わず真っ白でした。

棚から木箱の油の道具を出し、先生がラックから描きかけのキャンバスをだしてくれます。私が描いて作業している時、竹内先生は宮崎駿が座っていそうな昭和感溢れるごちゃごちゃしたデスクで演歌や歌謡曲をラジオで聴きながら何か書き物をしていたり、タバコをふかしたりしていました。時々筆の進みが遅くなると先生が見てくれ、2時間ほど描いたら今日の作業はおしまいです。ピンクの公衆電話から父に迎えの電話をかけて待つ間に、貰ったおやつとヤクルトを飲んでいました。おやつをもらえるのは子供だけですが、高学年になってもらうのを遠慮していると奥様が「忘れてるわよ」と必ず持たせてくれて、子供ながらに申し訳ないなと思っていました。あの時同じ時間に習っていたお姉さんや、迫力ある山の大作を描いていたおじさまは今頃どうしているでしょうか。

竹内先生亡き後も奥様とは細くつながりを持ち続け、毎年夏にコーヒーを送っていましたが、数年前ある日ぱたりと訪ね当たりがなくなってしまいました。私の周りに他に竹の会を知る人はおらず、このまま夢のように過去に消えてしまうのでしょうか。

 

直接のつながりは途絶えてしまいましたが、私の活動やブラウンハウスのアート教室には竹の会の経験がひっそりと生きています。